【勇新】 卒業前夜
――結局俺たちの関係は、変わらないままだった。深夜に響くノックの音。それは卒業式を明日に控えた今日も、俺の意識を覚醒させた。
アラタさんは、たまに、こうして俺の部屋にやって来て抱かれる。
それは俺が一年生の頃、アラタさんが水泳部を辞めてからずるずると続いていた。
俺は、この関係がいつか変わるって。ただ身体を重ね合わせるだけじゃなくて、お互いに好きになって恋人同士になれるって、そう信じていたんだ。
けれど、結局アラタさんと俺の関係が変わることは無かった。
アラタさんが見遣る、どこか遠くの景色を俺は見ることが出来なかったし、きっと彼の精神的支えになれても居なかった。
アラタさんの寂しさを埋めるだけ。そんな存在。ただ、それだけ。
今日も俺はアラタさんの名前を呼んで、全身にキスを落として、たっぷりと愛情を伝えた。でもアラタさんは、やっぱりどこか上の空で。
前よりはずっと上手くなったって。アラタさんも褒めてくれた。
きっと最初よりはアラタさんの事を満足させることが出来ていると思う。
でも、身体を重ねれば重ねるほど、アラタさんの心の虚を埋めることが出来ない自分に気付いてしまう。その空虚さを、アラタさんははじめ隠そうとしていたけれど、俺がアラタさんに嵌れば嵌るほど、隠し通せなくなるって苦笑してたっけ。
抱き合った後に、アラタさんはシャワーを浴びて、その間に俺はベッドシーツを取り換える。この二年間繰り返されたこの行為で、俺は手早く後片付けをする事に慣れた。アラタさんが朝までここで過ごしてくれるためなら、環境を整えることは些細な事だ。
水の流れる音が止まり、アラタさんが腰にバスタオルを巻いてシャワールームから出てくる。その白い肌には俺がつけたキスマークが散らばっていて、なんとも煽情的だ。ついさっきもしたばかりだというにに、心の中の欲望がじりりと焦がれる。そんな俺に、アラタさんは「勇気も早く入ってきたら~? 明日は大事な卒業式だよ? 寝坊したら大変」なんてへらっと笑う。はい……。と色気がぐんと立ち昇るアラタさんから目を逸らし、着替えを持ってシャワールームへと篭る。
初春にしてはつめたいシャワーの水が、俺の欲望を咎めるように打ち付ける。
――そうだ、明日は卒業式。
アラタさんは、地元の鈴菱の企業に内定をもらったって言ってたから、明日が来れば、俺とアラタさんは離れ離れになってしまう。
そんなの嫌だ。でも、そう思うのは俺だけなんだろうか。
去年、空也さんや高東さんが卒業するとき、寂しくて在校生からの挨拶で涙を零してしまい、卒業生を見送る時には大泣きしてしまったこともつい先日の事のように思い出せる。彼らが卒業するのはとっても喜ばしいことだけど、でももう学園でいつも一緒に居られるわけじゃないってわかってたから、涙が止まらなかったんだ。
そんな俺に空也さんは「勇気、離れていてもオレたちは勇気の見方だ。大丈夫! またオレたちは出逢えるさ!」と眩しい笑顔を向けてくれた。高東さんも、笑顔を浮かべて、頭を撫でてくれた。
それから、すぐに新しい後輩が入ってきて。俺たちはこの学園を盛り上げることに精いっぱい努力した。もちろんそれにはデュラックのジョーカーさんや園田さん、千葉さんも手伝ってくれたんだ。
もちろん、デュラックの人たちが卒業することはすごく寂しい。ジョーカーさんはいつも遊んでいるように見えて、本当は膨大な仕事量をこなしていたし、園田さんが作ってくれる料理が食堂で食べることが出来なくなるなんて、泣いても泣ききれない。千葉さんだって、最初は俺の事を敵対視していたけど、最近は笑顔を見せてくれることも多くなったんだ。心を少し許してくれたみたいで、とっても嬉しかった。
けれど、アラタさんが卒業したら?
アラタさんは、卒業しても俺の事を忘れないでいてくれるのだろうか。それとも、新しい人を見つけて、俺との関係はここで区切りをつけられてしまうのかな。
あの柔らかくていい匂いのするアラタさんがほかの人に抱かれる。そのことが嫌でたまらない。
……聞いてみよう。この二年間、アラタさんと俺はずっと傍に居たんだ。きっとこんなところで終わるなんて思わない。そう、思いたい。
俺はシャワールームから出て、ベッドで背を向けながら横になるアラタさんの隣へともぐりこんだ。
まだ、寝ていない。大丈夫。よしっ。
「アラタさん。明日で離れ離れになるなんて、寂しいです」
「そうだね~」
アラタさんは俺に向き合う事もせず、ただ、何の感情も篭っていない声で相槌を打つ。
「俺……アラタさんと、離れたくないですっ! アラタさんと、ずっと一緒に居たい!」
「勇気」
その時、アラタさんがこっちを向いて、普段からは考えられないような、真剣な目を俺に向けた。
「アラタさん?」
「勇気なら、アラタなんかじゃなくて、もっといい人と出会えるよ~」
その笑顔が貼り付けられたものだと、瞬間的に気づいた。
きっと、アラタさんはずっと前からこの言葉を用意してた。いつでも、別れを告げるカードとして、手元に置いていたんだ。
「そんなっ、アラタさん以外の人なんて嫌です。俺は、アラタさんが好きなんです!」
「おれたち、そんな関係じゃないでしょ?」
俺の事を突き放す声。もうこうなってしまったアラタさんの心は俺がどんなに手を尽くしたところで溶かせないって、分かっている。
「じゃあせめて、朝まで抱きしめさせてください。俺は、アラタさんと離れることに耐えられそうにはないから」
「ん……。わかった、おいで。勇気」
そう、手を広げるアラタさんの事を抱きしめる。もうこのはちみつとベルガモットがする彼の髪も、あまい匂いがしておいしそうな肌の香りを、もう感じることは出来ないんだ。
そう思うと、鼻の奥がツンとして、涙がぽろぽろと零れ、やがて大粒になる。
そんな俺に気付かないふりをして、アラタさんはそっと息を潜めていた。
――結局俺たちの関係は、変わらないままだった。