【水玉】水色の独占欲

 俺の目の前に居る玉森くんは、いくら掃除してない埃がかった床に転がされても綺麗だった。
「うぅん……みな、かみ……?」
 視界を奪われている玉森くんには、ここがどこかなんて分かるはずもない。創造だってつかないだろう。まさか水上が俺に殺されて、今は瀬川家の井戸の中に居るなんて、想像できるはずがない。想像力が豊かな彼だけど、今自分が置かれている状況に気付くにはいつになるだろう。と思いながら、革靴のつま先で彼の鳩尾をなぞる。
「なッ!?いったい何をするのだ?!ここは何処だ!!お前は一体誰だ!」
 意識が覚醒してきたのだろう。じたばたと暴れだす玉森くんを見つめると、つい声をかけそうになるが、今はまだ我慢だ。
 そもそもこうなったのは、玉森くんと水上が会津へと帰ってから数年が経った3日前の事。自分も彼らの元へ行き、水上を殺したことがきっかけだった。その後酔った玉森くんに、致死量ギリギリのバスビタールを飲ませ、帝都の池田邸の地下まで運んできたと言う訳だ。玉森くん以外にだったら、こんなに大胆な監禁生活を考えることはなかっただろう。けれど俺にとって玉森くんは唯一の光であり、綺麗な存在であり、憎き存在であり、恋い焦がれた相手でもあるのだ。その彼の“幸せ”を奪ってでも、自分の元に置いておきたい。そう思ったのは、来年から自分が軍に入り、玉森くんにもう二度と会えないと言うことを理解していたからだろう。そして、その恋い焦がれている相手が別の男と幸せになっているという事実は、俺にとって相当重くのしかかっていたらしい。現在目の前に彼が居る事で、自分でも驚くほどの幸福に満たされているからだ。水上が死んで、今俺に監禁されてることを知ったら玉森くんはどんな反応をするだろう、そんなことを思いながら、床に転がる彼を足で蹂躙する。
「おい!?さっきから言っているがお前は誰だと言っているだろう!答えろ!さもなくばこの舌を噛み切ってやる!」
 そんな勇気ないくせによく言うよ。とつい言葉が出そうになるが、ぐっとこらえる。彼を監禁したものはいいものの、玉森くんの心は水上のものだということは、会津からの電車の中で戯言のように呟き続けた彼の寝言で十二分に理解している。
 足で玉森くんをゴロゴロ転がしているのも楽しくなってきた。両手足を縛られ、芋虫のように動く玉森くんでさえ愛おしいと感じているのだから、自分はきっと玉森くんがどんな状態になっていたとしても好きなのだろう。例え手足が欠陥したとしても、玉森くんが玉森くんである以上、好きでいると思う。実際この地下室に閉じ込めて、丸一日彼は目を覚まさなかった。その間大学へ行く時間以外は、ずっと彼の事を観察していたが、飽きることなどなく、健やかに眠る彼に、どういたずらしてやろうかと考えていたくらいだ。……実際に手は出さなかったのだけれど。
「なぁ……頼むから教えてくれないか。お前は誰なのだ。私に何をしたいんだ」
 そこではぁ、と一つ大きな溜息をつくと、芋虫になっている玉森くんの身体が跳ねた。
「川瀬かッ?!おい!!この縄をほどけ!!一体私をどうするつもりだ!!水上は何処だ!!」
「水上は、死んだよ」
 呆気なさすぎる種明かしだ。と自分でも思った。あぁ、もう少し玉森くんに地獄を味わってもらいたかったのに。ずっと気付かなかった俺の恋慕に対するこの苦しみを彼に味わってもらいたかった。しかし、目の前でじたばたする玉森くんを見てると、つい口が滑ってしまったのだ。こればかりは仕方ないだろう。
「はぁ……?お前は何を言っているんだ?水上はさっきまでいただろう?それになぜ私は体を縛られている!この縄をほどけ!それに目隠しもだ!」
「だから死んだって言ってるでしょ。物分かりが悪いな、君は」
「にゃはは……、どうした川瀬、気でも狂ったのか。笑えない冗談にも程があるぞ」
玉森くんに近付き、するり、と目隠しをほどく。すると、玉森くんは俺の青く染まった瞳に、びくり、と怯え、震える声で呟いた。
「本当……、なのか。それにここは、池田邸の地下室ではないか。私はついさっきまで会津に居たはずだぞ」
辺りを見回す玉森くん。やはり目隠しがない方が可愛い。黒い瞳の彼の目線が地下を這う。しかしどうしてここが池田邸の地下だと分かったのだろう。玉森くんを一度もここに連れてきたことはないはずだ。……あぁ。橋姫の力で跳躍して、ここに来たこともあったのだろうか。どう反応するだろうかと玉森くんを眺めていると、突拍子もなく、地下に笑い声が響いた。
「にゃはは……悪い夢だ。そうだ!これは夢なのだ!やはりこれだから酒は良くない。つい呑みすぎてしまった私にも非があるかもしれないが、久しぶりに旧友に会えたんだ、少しくらい良いではないか」
「だからその気持ち悪い笑い方やめろって言っただろ」
「……夢だろう?なぁ川瀬、これは、現実ではないのだろう。だからお前が、水上が死んだなど冗談を言い、その青い瞳を携え、私が池田邸の地下に転がっているのだろう?」
 今にも泣きだしそうな玉森くんの涙を拭ってやりたいと思ったけれど、まだだ。玉森くんを甘やかすにはまだ玉森くんは俺の方を向いていない。俺が玉森くんを甘やかすのは、もっと先だ。俺はしゃがみ込み、玉森くんの頬を思いっきり殴ってやる。
「痛ッ!おい川瀬!いきなり何をするのだ!」
「こうでもしないと君は夢じゃないって認めないだろうと思って」
「もしこれが仮に現実だったとしよう。そこで考えてほしい。どうしてお前が水上を殺して、私を地下に監禁する理由がある?お前にとって良い事など何一つないじゃないか。そもそもお前はそんな面倒な事をする男じゃないだろう」
「横恋慕、って言ったら分かりやすい?」
「なッ……!」
声にならない声で、唖然とする玉森くんを眺める。さっきから泣きそうになったり笑ったり忙しい男だと思う。その表情ひとつひとつが見ていて飽きないものだから、もっといろいろな表情を見てみたい、と思いつい口が滑る。
「俺さ、君の事、好きなんだよ。気が付かなかった?」
「はぁ……?何かの冗談じゃないか?そもそもお前は花澤が好きなはずだろう」
「それこそ何の冗談だよ。ずっと君が好きだったんだ。水上を殺してでも奪いたいって思うくらい、君の事が好きだ」
そう言い、縛られた手の甲に唇を落とす。
「これは夢だ……そうに決まっている。川瀬がこんなに私に触れられるはずがない。早く覚めてくれないか。全く、こんなけったいな夢を私が見ているというのに水上は何をしているというのだ!夢の中へまでも助けに来てくれてもいいだろう!」
 あまりにも夢だ夢だと連呼する玉森くんに、どうしたらこれが夢じゃないと認めてもらえるだろう。でも俺は確かに水上を殺してるし、玉森くんの事もこうして監禁しているのだ。
「嫌だ……もう悪夢は、腹一杯なのだ。なぁ、水上……助けてくれないか。私がお前を何度も跳躍して掬ったんだ。今度はお前が掬う番だろう……?」
ぎゅっと固く瞼を閉じる玉森くんに無理矢理瞳を開かせる。
「ねぇ、見てって言ってるでしょ。今水上に橋姫の力は宿っていない。水上の橋姫の力が俺に移ったんだ。……どういうことか、いくら物分かりの悪い君でも分かるよね」
必死に目をそらそうとするが、左手で顔を固定し、右手で瞳を開かせているんだ。逸らすことは難しいだろう。恐怖に震える玉森くんの表情があまりにも愛おしくて、今度は唇に口づけを落とす。
「そ、そんな……みな、かみ……?川瀬、お前、本当に……」
「今行った事に嘘偽りは一つもないよ。すべて真実だ」
「あ、あ、あ、ああああああああああああああああああああああ!」
 玉森くんの絶叫が地下に響く。そうだ、そうやってどんどん玉森くんが絶望すればいい。絶望して絶望して、俺のところまで堕ちて来ればいい。そうすれば、俺は玉森くんをたんと甘やかして、もう自分以外を見ないようにしてやれるのに。
「嘘だ!!川瀬!!お前は最低だ!!どうして水上を殺したんだ!!そして私をなぜ監禁する!!外せ!!そして私が今すぐお前をッ……お前を殺してやるッ!!!!」
 無様な姿で威嚇する玉森くんがにじり寄るが、縛られ身動きが取れない玉森くんなど俺が一発蹴りを入れれば、直ぐに奥にある本棚に身体をぶつけ、低い呻き声をあげる。あぁ、あまり君の身体を傷つけたくはないのに。そういっても信じてもらえないんだろうな。
「ねぇ玉森くん、君の事を愛しているよ。だから早く水上の事なんか忘れて、俺の元に堕ちてきてよ」
 とどめを刺すように鳩尾に強くけりを入れるとその衝撃で頭を強く本棚に打ち付けた玉森くんは気絶してしまった。さて、種明かしは全て終わった。これから玉森くんはより一層俺に向けて強い感情を向けてくるだろう。ただの親友としてではなく、愛するものを殺した相手として。自分を監禁する憎き相手として。
 口元に手を当てると、自然と笑みがこぼれていたことが分かる。今この時、そしてこれからの時間、玉森くんは水上と言う愛する存在を失って、自分だけのものになる。そう考えると今まで悩んでいたことが馬鹿らしくなる程に、清々しい気分だ。
「やっと君の事を手に入れられたんだ。これからどうしてあげようか」
 将来の事を楽しみと思った事は、今まで生きてきた中で一度もなかった。しかしこうして玉森くんを手に入れた今、確かに俺はこれから先の未来が楽しみで仕方がないのだ。