【水玉】雨夜の月
しとしとと雨が降る。庭先の水溜りに空からの水滴が跳ね、ぴちゃぴちゃと心地の良い音を立てている。
時刻は深夜一時半。玉森は疲れ果てたようで、健やかな可愛らしい寝息を立てながら眠っている。雨の日……つまりそう言うことである。梅雨の時期が始まり、無理をさせてしまっているかもしれないと思いながらも、雨夜の玉森の瞳はどこか期待を孕んでいるのだ。もう二人で玉森の家に住み始めてから数年が経っている。口づけは許されてはいるが、未だに雨の日ルールは健在だ。初め、会津に戻ってきた頃に玉森を求めすぎてしまったのがいけなかったのだろうと思うが後の祭りだ。それに今現在だって、玉森がそう言った行為を嫌がっているわけではない。ハズカシイと処女のように顔を染めるだけで、拒絶を示すことは無い。なるだけ気を遣おうと思うものの、玉森がスキニシテイイというものだから、いつも玉森に無理をさせすぎている。そう思うのは、こうして玉森を背に縁側に腰かけ、降りしきる雨を眺めている頃――つまり、玉森が眠りについた後からだった。
明日は珍しく二人そろって仕事が休みだ。朝もゆっくりできるだろう。朝玉森が起きたら恨めしそうな顔をこちらに向けて、腰が立たないと怒鳴ってくるかもしれない。そんな玉森も可愛いと思う。そう思うと自然にくくっと喉奥から笑い声が込み上げた。あぁ、愛おしい。
「……一人で笑って気持ち悪いぞ、水上」
そう背中から声が飛んできて、ぎょっとして振り返る。そこには玉森がじっとりした目でこちらを眺めていた。
「たっ、玉森?!起きてしまったか……おはよう」
「寒くて目が覚めた。お前は何をしているんだ。雨だと言うのに襖を開けっ放しにして……」
「たまにこうして雨を眺めているんだ。そうすると心が落ち着くんだよ」
「そういうものか……ヘックション!おい、水上。寒くてかなわん。閉めてくれないか」
「あぁ。分かった」
ずびずびと鼻をすすりながら、布団に潜り込む玉森。悪いことをしてしまっただろうか。襖を閉めると、玉森が何か言いたげにこちらに視線を飛ばしてくる。何かしてしまっただろうか。分からずに首を傾げると、玉森はフンッと言った様子で目線を逸らした。
「玉森、寒いなら布団を持ってこようか。冬用布団があるが……」
「いらん!」
どうも機嫌を損ねてしまったらしい。布団で全身を覆い、とうとう表情を伺えなくなってしまった。声はどうも拗ねた時のそれだ。
「……玉森、今日は激しくしすぎてごめんな」
「~~ッ!私はそう言うことを謝って欲しいのではない!勘違いするな!」
「でも……」
玉森がこもる布団へ近寄り、玉森の様子を伺おうとすると、突然布団の中から手が伸びてきて、布団の中に引きずり込まれた。
「うわっ……!?」
少し強めに引かれたため、布団に凭れこんでしまう。するとそれを狙ったばかりに、玉森は布団を捲り上げ、布団の暗闇の中に誘った。布団の中の篭った空気は玉森の匂いがして、くらくらする。玉森の香りと、ほんの少しだけの情事の香り。鼻腔からの刺激に、あらぬ想像をしてしまい必死に経を唱えようとした時だった。
「……たのだ。」
「えっ?」
「だから!お前が起きた時隣に居なくて!心配したのだ!お前は目を離すとどこに行くか分からん。離れずに私の傍に居ろ!」
「玉森……」
あまりにも可愛いこの恋人をどうしたものだろうか。心なしか目元が少し赤い気がする。寝起きで俺が居なくて心配してくれたのだろうか。
「ごめんな、玉森。俺はずっと傍に居るよ」
微かに震える身体を抱きしめると、安心したようにうむ。と胸元に頭をこすりつける。そのしぐさがまるで猫のようで愛おしいと思った。
「それでいいのだ。全く……心配を掛けさせるな」
はぁ、と玉森が大きくため息を吐く。その吐息が浴衣越しに肌に伝わった。
「いくら明日が休みとはいえ、私は眠たい。ふわぁあ……寝るぞ、水上」
「あぁ、おやすみ。玉森。良い夢を」
「ん……お前も、早く寝るんだぞ」
布団の中に潜り込んだまま、玉森は俺に身を預けてすぐに眠りについた。外も梅雨の時期で蒸し暑い上、この布団の中も相当蒸し暑いだろう。次第に玉森も汗を流し、眉間にしわを寄せうぅんと唸っている。そっと起こさないように布団を肩の位置までずらすと、玉森の表情も和らいだ。ぎゅっとしがみついてくる玉森。さぞかし不安にさせてしまっていたのだろう。申し訳ない気持ちで胸が締め付けられる。そう思う反面、玉森に甘えられることが嬉しかった。
実際に玉森は何度も目の前で俺が死ぬところを見ている。たまに悪夢を見たと酷い顔色で訴えかける時も、口にするのは帝都での梅雨の事だった。俺が跳躍していた時は玉森が亡くなった後だったから、玉森は俺も一緒に消えていたことは知らない。あの玉森が繰り返したと言う三日間が、玉森に強い不安を植え付けているのは言うまでもないだろう。
あの頃の俺はこの5億年の輪廻に救いを求めていた。途中気が狂ったこともあったが、どうにかしてこの人生を終わらせたかったのだ。それが今、こうして数年後に玉森が隣で眠っているなど信じられないだろう。ずっと求め続けた相手。五億年の中で結ばれることなど一度もなかった。結ばれそうになっても、同性同士だと言う理由で、引き剥がされてしまった。
ずっと、玉森と結ばれる事など雨夜の月の様だと思っていた。いくら想像したところで、玉森と結ばれることは無く、玉森と結ばれる世界があるだろうとずっと願いながら生きてきた。まるで雨の夜に月を見出すように。この輪廻の中で、いずれその幸せを手にすることが出来るだろうと夢見ていた。
玉森が俺と生きると決めてくれて、手を取ってくれた。その事がどれほど喜びにあふれたものであるかは、玉森は知らないだろう。
隣で眠る玉森の口の端から垂れるよだれを拭い、そっと彼の存在を確認するように抱きしめる。幻のように幸せな今を確認するかのように。その温もりは、穏やかに腕の中で微笑みながら、眠りについていた。